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コラム

エスノグラフィーと体験のデザイン

2012年1月16日(月)
商品計画研究所 シニアコンサルタント 棚橋 弘季


とある都内の調剤薬局。それほど広くはない調剤室では7、8人ほどの薬剤師たちが壁を隔てた向こう側の待合室で薬を待つ患者たちのために、部屋の三方の壁をびっしりと埋めた薬剤棚から次々に薬を取り出しては慌ただしく調剤用のカゴの中に入れている。
1つの棚あたり縦に9段、横に9列に仕切られた棚が10以上あり、薬剤が入っていないスペースがあるのを考えても優に600品目以上はあると思われる薬剤の中から、薬剤師たちは決して間違えることなく処方箋に書かれたとおりの薬を患者に出すことが求められる。間違った薬を出しては大変だし、かといって患者をいつまでも待たせている時間もない。一目で何の薬かわかるよう工夫されたはずのパッケージも、薬剤棚のスペースの関係上、正面からは工夫された面が見えない向きに置かれてしまい、結局は他の薬と区別がつかなくなってしまっている…。

私たちは、医薬品のパッケージをデザインする場合でもこんな風に調剤薬局や病院の薬剤部、あるいは入院患者に薬を与える看護師さんたちの働く現場を観察させてもらうことからデザインをはじめさせてもらっています。こうした「エスノグラフィー」と呼ばれる調査を行うことで、実際に薬を扱う人びとがどんな状況でどんな不満や期待を抱きながら薬に触れているかを把握し、デザインが利用する人びとのどんな問題を解決すべきかを明らかにした上で、具体的なデザインのアイデアを考えるのです。

エスノグラフィー

エスノグラフィーは元々、人類学や社会学の分野で用いられているもので、特定の社会における行動様式や文化を現地でのフィールドワークによる観察やインタビューを通じて得た質的データを元に解釈を行なう研究手法です。日本語では民族誌(学)と訳されるように、行動様式を解釈した記述そのものを指す場合もあります。

その学術的な領域で用いられてきたエスノグラフィーが、近年ではビジネスの領域でも用いられるようになってきています。私たちが「人間中心デザイン」というユーザー視点で商品やサービスを企画設計するためのツールとして用いているように、消費者理解のための手法の1つとして商品/サービス開発の分野でも利用されるようになってきているのです。

デザイン的思考方法を用いることでビジネスにイノベーションをもたらす人材を育てることを目的としたスタンフォード大学のd.school でも重要な手法の1つとして取り入れられていますし、インテルとマイクロソフトは共催でthe ethnographic praxis in industry conference(EPIC) というイベントを2005年から開催していたりもします。

行動の要因を見つけることで、ユーザー体験を改善する

そんなエスノグラフィーですが、特徴はやはり実際に現場でターゲットとなる人たちの生活や行動を直接観察することで、本人も気づいていないような行動傾向や潜在的な欲求を発見することができる点にあります。

従来のマーケティングリサーチ手法であるアンケート法やフォーカスグループインタビューは言葉で質問を行なうため、回答する側の消費者もあくまで自分が意識していることしか答えられませんが、エスノグラフィーでは本人は意識していないことでも第三者がその行動を観察することで客観的に把握することができます。本人は日常的に行なっているために当たり前な行動でも、第三者が見ると不思議に感じるようなこともあったりします。

たとえば、薬局での調剤のシーンでは、薬を出すときには間違えないのに、一回出した薬が何らかの理由で戻ってきた際にそれを薬剤棚に戻す際には間違えてしまうということが起こることがあります。話だけを聞くと単なる注意不足のように思ってしまいそうですが、実際に現場をみると理由は明らかで、薬を出す際は薬剤名も大きくわかりやすく書かれた箱から取り出すのに対して、戻す際は他の薬との区別がつきにくい個別のシートの状態だったりするというのが本当の要因なのです。要因が明らかにできれば、個別のシートでも何の薬かが識別しやすいようデザインを改善するという具体的な解決の方向性を考えることができるようになるのです。

悪いデザインは体験価値を損ねる

この薬の例では、棚に戻す際に間違いが起こると、そのまま次にその棚から薬を取り出す際、間違った薬を取り出してしまい、患者に間違った薬剤を払い出してしまうという危険性があります。多くの現場では、調剤の際には2人以上でのチェックが行なわれているので、チェックの際に違う薬だと気付くはずですが、その場合でも間違った薬を正しいものに変えるという点では薬剤師の作業効率が悪くなります。もちろん、作業効率が悪くなれば、患者が処方を待つ時間も長くなる。見分けがつきづらいパッケージデザインというのは、利用者の体験という視点では、患者にとっても、薬剤師にとっても改善すべきポイントだということになります。それは利用者の体験価値を損ねているのですから。

サービス体験価値を高めるサービスデザイン

こうした体験価値という観点から、ここ数年、デザインの分野で注目されているテーマの1つが「サービスデザイン」です。

様々なものが溢れ、機能面の差異が飽和状態にある市場において、消費者が求める価値は「何をできるか」ということに対する欲求よりも、機能としてできることにはほとんど差がない状態で「どのようにできるか」「利用する際、どう感じられるか」といった体験に対する欲求に比重が移ってきているといえます。そうしたハードからソフトへ、モノからサービスへといった市場の流れのなかで、物理的な形のないサービスの価値を高めるための方法として、エスノグラフィーを含む人間中心デザインのアプローチに注目が集まっているのです。

サービスデザインはヨーロッパを起点として、現在はアメリカでも注目が集まっており、Service Design Network が主催したカンファレンス にはマクドナルドなどの企業もスポンサーに名を連ねています。

私たちもこれまで様々な商品開発やWebサービスの企画設計において実践してきた人間中心デザインの手法を、サービスデザインの分野にも活かすための研究開発を進め、顕在化してきた「ポストものづくり」の時代に向けて、お客様のお役に立てるよう努力をしていきたいと思います。もし「うちでも顧客の体験価値に焦点をあてた商品/サービスの企画を検討したい」ということであれば、お気軽にご相談ください。ご要望に応じて最適プランを提案させていただきたいと思います。

第23回『2012年 新年のご挨拶』  
お見積り・資料請求等は無料です。お気軽にご相談ください。

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