ますます多様な表現が可能になったインタラクティブなシステムや製品をデザインする上で、実際の利用シーンで生じるはずの、ユーザーとモノとのインタラクションにともない刻々と変化していくユーザーのメンタルモデルを適切に把握する技術やそれを用いるスキルの取得の重要度は増してきています。

人は未知の状況において行動を起こす際、必ず「こうしたらこうなるはずだ」という予測を立てた上で自身の行動を選択します。簡単にいうと、この「こうしたらこうなるはず」というイメージがメンタルモデルです。未知のモノを使う際にも「このボタンを押すとこうなるのでは?」といったように何らかの操作方法に関するメンタルモデルをイメージした上で操作してみるわけです。
このとき、メンタルモデルと実装モデルが一致していれば、ユーザーは自分の思ったとおりの結果を得ることができます。しかし、反対にメンタルモデルと実装モデルにギャップがあった場合、使い方を間違えていて思ったとおりの結果が得られなかったり、なんとか使えた場合でも使っていてイライラするなどの不満を感じたりします。もっとひどい場合はそもそも思っていた用途で使うモノではなかったなんてこともありえます。いわゆるユーザーテストを行なう目的は、このメンタルモデルと実装モデルのギャップをデザインプロセスのできるだけ早い段階で明らかにすることです。
ユーザーのメンタルモデルを適切に把握する技術の必要性が増してきているのは、こうしたメンタルモデルと実装モデルのギャップからユーザビリティやユーザーエクスペリエンス上の問題が生じるケースが非常に多くなってきているからです。物理的なキーから解放されたインターフェイスや、センサー技術を駆使して状況にあわせたフィードバックを返せたりといったインタラクションデザインの自由度が増したからこそ、メンタルモデルと実装モデルのギャップが生じる可能性も高くなっているのです。
ユクスキュルの環世界
このメンタルモデルについて考える上で、ドイツの動物比較生理学者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルが1934年に書いた『生物から見た世界』で展開される「環世界」という考え方はとても示唆的です。
ユクスキュルの「環世界」は生物それぞれの世界観といえるもので、ユクスキュルは先の著作のなかで、その世界観がそれぞれの生物の「できること」によって異なるということを強調しています。
例えば、それぞれの生物が世界をどんな速度で見ているか?
まず、僕たち人間は1コマ18分の1秒の動画を見ることができるといいます。これがベタという魚になると、人間が知覚可能な18分の1秒のコマ送りで自分自身の映像を見せても見分けられず、30分の1秒までコマ送りの速度をあげて、ようやく認識が可能になるそうです。
逆にカタツムリだと4分の1秒の動きでさえ世界の動きを捉えることができません。彼らは3分の1秒のコマ送りになってようやく動きに気づくことができのだそうです。つまり、カタツムリはそのくらいゆっくりとした動きのなかで生きていて、そうであるがゆえにカタツムリ自身は人間が彼らを鈍いと感じるほど、自分たちをそう評価はしていないということになるのです。
これはどういうことかというと、すべての生物が見ているのは、あくまで自分たちの知覚可能領域の範囲での世界なのだということです。あらゆる生物が自分にできることの範囲で、世界を編集し加工して捉えているのであって、どの生物も世界そのものを見ているわけではないということです。
環世界とアフォーダンス
このように生物自身が何を認識できるかどうかによって世界が変わってくるという考えが、ユクスキュルの「環世界」の核心です。
またユクスキュルは、世界認識が生物それぞれに異なることを言っただけでなく、生物のおこなう行動が単なる外からの刺激に対する反応ではなく、生物の側の主体的な知覚が生み出す「環世界」との相互作用であるということで、世界認識に知覚と行為の両方が深く結びついていることを指摘しました。
主体が知覚するものはすべてその知覚世界になり、作用するものはすべてその作用世界になるからである。知覚世界と作用世界が連れだって環世界という1つの完結した世界を作りあげているのだ。
ヤーコブ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』
「知覚世界と作用世界が連れだって環世界という1つの完結した世界を作りあげている」。これは後のアフォーダンス理論の考えにも通じるような視点です。アフォーダンス理論では、情報というものを人間の外部にあるものでもなければ、人間がその内部で作り出すものでもなく、人と外部環境の相互作用のなかで発見されるものだとしています。
例えば、日本におけるアフォーダンス理論の第一人者といえる佐々木正人さんは『アフォーダンス-新しい認知の理論』のなかで次のように書いています。
私たちが認識のためにしていることは、自身を包囲している環境に情報を「探索する」ことなのである。環境は、加工されなければ意味をもたない「刺激」のあるところではなく、それ自体が意味をもつ「持続と変化」という「情報」の存在するところとして書き換えることができる。
佐々木正人『アフォーダンス-新しい認知の理論』
ユーザー自身がそれまでの人生のなかで刻んできた記憶やその時置かれた心理的状況や経済的状況、立場などに影響を受けつつ、ある特定の場面である環境である製品を使おうと試みる。この時、ユーザーの頭のなかに浮かぶメンタルモデルは、目の前のユーザーインターフェイスがどのようにデザインされているかということだけでなく、こうしたあらゆる条件、状況が変化のパラメータとなって、そのモデルの内容を変化させます。ユーザー自身も自由にその内容を「加工」できるわけではなく、ユーザーインターフェイスのデザインも含めた様々な状況のパラメータに応じて、ユーザーが頭に思い浮かべるメンタルモデルは変化していきます。その変化のパラメータにはユーザー自身がそこで行なった間違った操作とその結果も含まれ、そうした使用行為に応じてユーザーのメンタルモデルは刻々と変化していきます。
この変化こそが、ユーザーが正しい使い方を「探索する」過程といえ、それは人間が世界を情報として「探索する」過程一般に通じるのです。
行為の7段階モデル
その人間が行為を通じて情報を「探索する」プロセスをモデル化したものが、ドナルド・A・ノーマンが提唱した下図の「行為の7段階モデル」だということができるでしょう。

このモデルでは、人間は世界を認識する際に、最初にゴールを設定し、意図を持ち、その意図にあった具体的な行動を選択し、それを実行する流れである「実行の淵」と呼ばれる前半と、行為後に対象からのフィードバックを中心とした状態を知覚し、その状態の意味を解釈しつつ、その状態の意味合いの解釈と当初のゴールを比較しながら自身のとった行為や対象の意味について反省する「評価の淵」と呼ばれる後半部からなるプロセスを繰り返すことで世界を認識していくと説明されます。
対象に対して何らかの仮説を立て、その仮説をもって対象に接してみる。そうすると仮説と実行の結果の不一致に気付いて、仮説の間違いが認識できる。その間違いがなぜ生じたのかを考えることで、新たな仮説を再構成することができます。
こうした仮説検証的なアプローチは人間なら誰もが行なっているというわけで、インタラクションデザインを行なう際には、ユーザーがどんなメンタルモデルをもっている傾向があるかを把握すると同時に、どんなデザインを提示すれば、そのメンタルモデルを変化させ、実装モデルとのギャップにユーザーが気付くことができるよう導けるかということを考えることが必要になります。
ユーザーのメンタルモデルを把握する
こうしたことからもユーザーのメンタルモデルを把握する手法の必要性が求められているわけですが、代表的な手法としてはエスノグラフィーや文脈調査や、プロトタイプをユーザーに使ってもらってテストを行ない、メンタルモデルと実装モデルのギャップを明らかにするプロトタイピングの手法が用いられます。
将来的トレンドや潜在的未来をめぐる研究であるhuman-future interactionを提唱するジェイソン・テスターは、プロトタイピングを「未来からのシナリオを目に見え触知可能な状態にする」ことでその有効性をテストできる手法として評価しており、イノベーティブな製品やサービスのデザインの方法としては、むしろ欠かせないものになってきているのではないかと思います。
私自身、エスノグラフィーやユーザーテストを行なう度に、ユーザーのメンタルモデルと自分の想定したモデルとのギャップに気付かされます。自分の思い込みを反省するだけでなく、それと同時に、まだ実現されない様々なインタラクションのモデルの実現の可能性のアイデアが思い浮かんでくることが面白いところです。また、一度もエスノグラフィーやユーザーテストの現場で、ユーザーと自分のメンタルモデルのギャップに驚いたことのない方は、ぜひ一度、その体験をしてみることをおすすめします。インタラクションデザインはすべてその驚きからはじまるといっても過言はないと思いますので。