2011年6月アーカイブ

民俗学者の故・宮本常一さんの代表作『忘れられた日本人』のなかの印象的なエピソードの1つに、対馬の北端にある伊奈の村で興味深い古文書を出会った著者が「この古文書をしばらく拝借ねがいまいか」と頼んだところ、貸してよいかどうかを村人たちが寄合で延々と話し合いはじめたというものがあります。この村では、とにかく何か取り決めを行なう場合には、寄合の場でみんなの納得のいくまで昼夜問わず何日でも話し合うのだといい、著者はその延々と話し合いを続ける村人の情景が「眼の底にしみついた」と書いています。

こうした寄合方式が行なわれていたのは、伊奈の村だけに限らず、対馬の別の村で古文書を見たいとお願いした際にも「総代会」という寄合の場で可否が決められることになったそうです。
何かしら取り決める必要がある場合は、寄合方式の会合を開き、そこで全員が納得するまで話し合う全会一致の方式がとられていた地域が西日本の村には多かったと述べています。しかも、下の引用にもあるとおり、会合の場においては身分の違いもなく互角の発言が許されていたというのが興味をひきます。

日本中の村がこのようであったとはいわぬ。がすくなくも京都、大阪から西の村々には、こうした村寄りあいが古くからおこなわれて来ており、そういう会合では郷土も百姓も区別はなかったようである。領主-藩士-百姓という系列の中へおかれると、百姓の身分は低いものになるが、村落共同体の一員ということになると発言は互角であったようである。

宮本常一『忘れられた日本人』

村の経済を司る裕福な郷土も、貧しい百姓も区別なく一堂に会して、互角な発言を通じて、みんなが納得するまで話し合う寄合方式。宮本常一さんをして「眼の底にしみついた」と言わせたその情景は、どこか現在のソーシャルメディアが浸透したコミュニケーション環境に似ていないでしょうか?